庵治石の歴史は非常に古く、1339年(慶応2)京都石清水八幡宮再建の頃までさかのぼる。この八幡宮の再建にあたり、平安末期から南北朝、室町時代にかけて、中讃岐草木の庄、牟礼の庄一帯(庵治石産地近郊)が石清水八幡宮の荘園であったとされていることから、「庵治石」を使用したと古文書に記されている。つまり、庵治石は平安時代末期から採石使用され、遠くは京都まで送り出されていたと言うことであり、およそ1000年の歴史の中で注目を集めていたと言える。また、当地域での庵治石製品加工の発祥、工法作品等斬新的なうつろいは1814年の屋島東照宮造営の頃と言われている。
明治 ・・・この頃から「庵治石産地」としての基礎づくりの時期と
なったようである。当時の社寺建築、供養塔等に数多く
見られる石造物と彫刻物は、注文を受けた石工が自ら
山へ足を運び、原石を採掘加工していたが、時代の発展
とともに採石と加工が次第に分業化され、丁場師と呼ば
れる山石屋と、仕立師と称される加工石屋とに分かれて
現在に至った。
大正
〜昭和初期・・「庵治石」発展の時代だった。花崗岩の中でも特に
硬い「庵治石」を見事に製品化する技法を得た石匠
がその技によって刻みあげる石彫品は「庵治石」
とともにその名を全国に輝かした。
戦後・・・・・苦しい時代だったが、食糧事情も徐々に緩和され一般
庶民の生活もようく安定し始めると、それと共に灯篭、
墓碑等の要望も増加していった。昭和35年頃になると
石材切削機が作製され従来の石材加工に大変革をもたら
した。更に研磨機、切削機ともに自動化が図られるよう
になり石材加工業の製品過程に専門分野が考えられる
ようになり、必然的に著しい技術改良が進んだ。
現在・・・・・石質の素晴らしさだけではなく石匠が年月を経て身に
つけた優れた技術と相成り、国内だけではなく、
世界に広く知れわたり、高い評価を受けている。
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